指揮者 中井章徳オフィシャルサイト

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Story

「阪神」、「大フィル」…「朝比奈隆」

倉敷美観地区

歴史ロマンの薫る文化のまち倉敷では、毎年春になると『倉敷音楽祭』が開催される。
昭和62年3月に新市発足20周年と瀬戸大橋完成を記念して始まった、クラシックを中心とした音楽フェスティバル。
倉敷出身のピアニスト・岩崎淑さん、チェリスト・岩崎洸さんを音楽的支柱に日本各地からトッププレイヤーが集っておよそ一週間にわたって室内楽やオーケストラなど大小さまざまな演奏会が開催される豪華な音楽祭だった。

朝比奈隆   

目玉は最終日の倉敷祝祭管弦楽団のコンサートで、トッププレイヤー達によって編成されるオーケストラは、プロ野球でいうところの「オールスターチーム」のようであり、この楽団を率いていたのが指揮者「朝比奈隆」先生だった。1947年に関西交響楽団(現・大阪フィルハーモニー交響楽団)を設立し、2001年に没するまで55年にわたり、音楽総監督・常任指揮者を務められた日本音楽界・指揮界の重鎮。倉敷祝祭管弦楽団のコンサートでは先生が得意とされていたベートーヴェンの交響曲が第1番から毎年順番に演奏されていた。
最初に聴いたのは中学2年の時。洗礼の音楽は第3番「英雄」だった。「指揮者、すげーーーっ!」小学5年生の時に倉敷の田舎から街中へ引っ越し、近所の金管道場へ通いはじめる。
トロンボーンを担当し、音楽を通じてできた新しい友人たちと合奏して楽しんだ。体を動かすのが好きだったので中学では野球部に入っていたが、金管道場の友人たちの熱烈な説得によって音楽部に転部することになり、再びトロンボーンを続けることになった。どうやら右腕を動かすのが好きらしい(笑)。
中学2年の時に顧問の先生が変わったことがきっかけでやや不登校気味になってしまい、学校へ行ってもやる気が起きなくて保健室で横山光輝の『三国志』と『少年ジャンプ』ばかり読んで歴史ロマン溢れる世界を堪能していたが、この演奏会がきっかけとなって自分の足で意思を持って歩き始めるようになる。

そうか、音楽は心のビタミンだったのか!もともと「阪神タイガース」のファンだったが、この時から「朝比奈先生が率いる大阪フィルハーモニー交響楽団」に心をときめかせるようになった。まるで初恋のように。指揮者と言えば「朝比奈隆」、オーケストラといえば「大阪フィル」、プロ野球は「阪神タイガース」。
大阪には修学旅行で行ったぐらいで、まだ一度も大阪フィルの演奏を聴いたこともなければ、朝比奈先生と話をしたこともないのに、妄想少年の「憧れ」は揺るぎないものになっていった。

指揮棒

「めざそう!」
14歳、立志・元服。指揮道への第一歩を踏み出した。

「マスカーニと共に」

マスカーニ写真

西暦2023年。日本では卯年。三つの意味での節目の年になる。

一つ、敬愛する作曲家・マスカーニが『生誕160周年』のメモリアル・イヤーを迎えること。
一つ、博士課程での研究を集大成する最終年度になること。
一つ、年男になったこと。

マスカーニの部屋   

京都市立芸術大学大学院音楽研究科博士(後期)課程での研究も大詰めだ。
マスカーニの代表作である歌劇《カヴァレリア・ルスティカーナ》の自筆オリジナル総譜を研究して7年。
2019年に京都で、2021年には出雲で、オリジナル稿の研究成果を部分的に披露してきた。

2022年、ようやく「フィナーレ」の研究が一段落つき、これでオペラ全景が上演できる状態になった。
今年はいよいよ「オリジナル稿世界初演」を行うことになる。 そんな年に偶然にも年男となる。(気力と情熱は24歳!)
力強く歩みを進めよう!と心に誓い、三つの節目を記念して、出雲に『マスカーニ研究室』を設置することにした。 イタリアのオペラ作曲家・指揮者として活躍したピエトロ・マスカーニ(1863-1945)は二度の世界大戦を経験した。

中でも第二次はムッソリーニ体制の下でミラノ・スカラ座の音楽監督を務めたことなどが影響し、戦後長らく彼の評価や研究は十分なものではなかった。
2013年に生誕150周年を迎えて研究が盛んになり再評価がなされるようになってきたが、日本での研究はまだまだ乏しいのが現状だ。

《カヴァレリア》だけでなく、激動の時代を生きた彼の音楽活動と功績に光をあてることは、混迷の時代を生きる現代の人々に光をもたらしてくれることになるのではないだろうか。 何か一つの物事に打ち込み、それを極めることは、本質として他の分野にも通ずる面や繋がることが多々ある。

音楽の扉~2023年、マスカーニと共に歩む。

「美しさ」との距離

10代の頃を振り返ると、日々やる気がない訳ではないのに心の軸が定まっていない、親や先生から世間では「正しい」とされている事柄を言われてもピントこない、そんな小学・中学時代だったように思う。

今になって思う。求めていたものは「正しさ」ではなく「美しさ」だったのだ、と。

初めてホールでオーケストラを聴いたときの衝撃。

「わかる/わからない」ではなく、圧倒され、惹きつけられた、激しく、美しい、体中を包み込む響き。
世間では「感動体験」や「本物に触れる」というコトバで表現されるが、心の中は、ただただ「うわぁ・・・」と母音が続く感じでコトバにならない、というのが率直なところ。 この時から心の軸が定まり、生きた心地を得た――少し大袈裟に言えば「人間になった」感じがした。

芸術学

「芸術は生きる力」と言われる。
或る人は音楽に魅了され、或る人は美術に、或る人は詩や文学に、また或る人は宇宙・天体に惹きつけられる。
もちろん興味関心は人によって異なるだろうが、それら芸術の深奥に共通する「人の心を揺り動かす」力に触れることは、人間の営みとしてまことに「尊い」。

人間の心には「美しいもの」が何よりの糧になる。

指揮者と子ども

幼少期、少年期、青年期、それぞれにふさわしい「美しさ」があろうだろう。
今まで自分が出会わなかった世界や意識していなかった部分にも美しいものがたくさんある。
砂浜で美しい貝殻をみつけたような、まるで宝探しゲームをしているような、そんな「美の発見」「美の観察」をする機会を子どもたちに届けたい――そんな思いで、音楽教室や芸術鑑賞会、スクールコンサートやファミリーコンサート、福祉コンサートをはじめとした教育現場との関わり・繋がりによる音楽活動をライフワークにしている。

教会

クラシック音楽は本場の土地に行ってみて、体験してみて初めて感じられること、わかることがある。
みんなが海外に行って体験することは難しいけれど、自分がそこへ行き、五感を通して得たものを持ち帰って伝え、分かち合うこともできよう。もちろん、若者だけでなく、生涯を通じてあらゆる世代の方々と共有し分かち合いたいと願っている。
日本はキリスト教文化に根付いた欧米の社会とは環境が異なるけれど、学校教育現場での文化芸術活動の推進に注力することは心豊かな社会の実現に寄与すると確信している。

経済的な豊かさ、心の豊かさも大切。同時に「美しさ」「美しいもの」を重んじることができる社会でありたい。

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